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「教育により人間は合理的になり、外側から強制されるこなしに、すべての意見が一致し、正義を行なうようになる
」こうして、教育によって、強制や規律から解放された自由な社会がくることが期待されていたのです。
(支配階級による、支配階級のための、労働者大衆の教育)にたいする批判は、上か轟望らの大衆教育の否定にどまらず、自己教育の組織化の必要性の自覚へ芸し、労働者の自己教育の理想その組織化が課題なってきます。
労働者の自己教育の必要性をもっも強く、端的に主張した。ひに労働価値説の先駆的主張者であったT・ホジスキンがいます。
「ひはその教育を、自分の主人たちから受けるくらいなら、教育を与えられない方がましだ
なぜなら、そのような教育は、くびきにつながれてだめにされる家畜の訓練よりもよくはないからだ」(W・ホッジェン『英米における労働者教育』一九二五年)
彼は、労働者が、「かれら自身の費用による新しい教育のための施設」を建てることを主張しました。
チャーティズム運動は労働者階級の政治的自覚化もに、自己教育の思想を深めるものでした。
その指導者の一人、W・ラヴェツは、教育は人間の「解放の道具」であり、「人間の尊厳を高め、その幸福を進めるための普遍、的な道具」であるのべ、したがってまた、「教育は、恩恵ではなく権利であり、社会それ自身に由来する権利であり、……国民全体に教育手段(機会)を配慮することが政府の義務である」を考えました。
だから、支配階級が教育を恩恵して大衆にのぞみ、その内容を独占的に指導するこは、教育本来のあり方目的に反するものであり、プロイセンなどでの国家的教育が、「民衆の知性の開発を支配者自身の利益に転じ、自由の開化をその菅のうちに押しっぷしてしまう」ことを見抜いていました。
彼は、大衆が社会的政治的問題をみずから検討する習慣を身につけることをめざして、自己教育の原則にもづく政治学校を構想し、その設置を主張したのです。
ラヴェッは、チャーティスの中でも、労働者の自己教育の問題もっも真剣にりくんだ一人で、「かれの経験によってホジスキンの理論が確証された」(ホッジェン)もいわれています。
同じころ、ドイツではエンゲルスがエルバーフェルでの演説(一八四五年)で、「すべての人間が自分の能力を完全に発達させる権利」をもっており、「国家の費用で普通教育」が保障されなければならない、「その教育は、すべての児童に対して平等であって、各個人が社会の自主的な成員して行動する能力をもつようになるまでつづけられる」とのべています。
マルクスにも、人間の権利しての教育の視点は明確です。(例えば「第一インターナショナルへの指示」一八六九年)
近代教育の三重構造こうして、ゴドウィン的公教育全面否定論は、労働者の自己教育論へ受けつがれ、さらに、組織的自己教育論は、権利しての公教育の構想へ発展していくのです。
労働者大衆の中に身をおき、その教育を現実的に、具体的に考察した。ホジスキンや、ラヴェッ、エンゲルスやマルクス、さらには、フランスでは二月革命やパリ・コンミューンの公教育提言等、労働者のための教育論のほんどすべてが、権利しての公費教育の全国民的規模における実現を主張したのは、当然のことでした。
このように市民革命後の近代社会では、教育は支配者層(ブルジョアジー)の自己教育の思想、支配者層による大衆教育の現実イデオロギー、労働者階級の人権しての公教育の思想運動いう三重構造のなかで展開していくのです。
一八七〇年代以降、普通選挙への要求が高まってきます。
そして民衆の「自分たちもまた人間であり市民である」の自覚にもづく要求に対して、支配者たちがもはやそれを拒否しがたい判断した。き、ロバー・ローの「わが主人たちを教育しなければならない」国家への忠誠心をつちかっていくいう目的を含んで、全国的な規模で義務教育(コンパルソリー・エデュケーション)が整備されてきます。
帝国主義段階の教育さらにこの時代は、帝国主義競争の時代への移行期であり、技術教育なくしては経済競争にもうちかてない、そのためには一定の技術教育、基礎教育が必要だという認識のなかで、義務教育が求められるようになります。
こうして現実の学校教育の任務は、労働力の保全政治的・社会的秩序の維持のための道徳教育、および一定の技術教育の基礎しての3RS(読み書き算)におかれるこなりました。
このように、産業革命につづく産業独占化の進行帝国主義段階への推移の過程で、市民社会は構造転換をげ、国内的には階級対立の激化(「二つの国民」の危機)国際的には植民地分割にもなう戦争の危機のなかで、内に国民的凝集性を確保し、外に国民的一体性を保持することが、国家の共通の問題意識なってくるのです。
それは「帝国主義の課題」としてまめることができましょう
当時の政治指導者たちは、帝国主義者を自称していました。
そのひとり、セシル・ローズは帝国主義の必要を次のようにのべたのです。
「わたくしは、昨日、ロンドンのイース・エンドにいき、失業者たちのある集会をのぞいてみた。そして、そこでいくつかの野蛮な演説を聞き、……家に帰る道すがら、その場の光景についてよく考えてみたき、わたくしは、以前にもまして、帝国主義の重要さを確信した。
……わたくしの心からの理想は、社会問題の解決である。
すなわち、連合王国の四千万の住民を血なまぐさい内乱から救うためには、われわれ植民政策家は、過剰人口の収容、工場や鉱山で生産される商品の新しい販売領域の獲得のために、新しい土地を領有しなければならない
わたしのつねづねいってきたこだが、帝国は胃の腑の問題である
諸君が内乱を欲しないならば、諸君は帝国主義者にならなければならぬ」(入江節次郎『独占資本イギリスへの道』ミネルヴァ書房、一九六二年、傍点筆者)
さて、このような国内的・国際的な課題を背景して、政治思想の上でも、国家はかつてのように必要悪国家・夜警国家してではなく、理想主義的・有機体的国家みなされ、公共福祉や社会連帯の理論に補強されて、教育への国家介入が理論づけられてきます。
そこ.では十八世紀的個人主義的教育思想ないしは人間の権利しての教育の思想はしりぞけられ、国民の義務しての教育が説かれるもに、教育の機能も、その社会の慣習や信念体系を伝達することを通して、その社会の成員して同質化する(社会化)ころに求められるようになるのです。
そして社会化の主要な担い手は国家そのものにはかならないされてきます。
オクスフォード学派のひとり、B・ボォザンケッは、国家を「諸権利の唯一の組織者」であり、「遺徳的価値の守護者」であるして国家介入を理論化しました。が、教育を「方法的社会化」呼んだヂユルケームは、同時に、国家を「道徳的規律」の「最高の器官」であり、個人を地域社会や職業集団などの中間集団から「解放する者」であるみなしたのです。
以上のような情況はヨーロッパ諸国に共通しており、イギリスではフォスター法の成立(一八七〇年)、フランスではー・フェリーの改革(一八八〇年代)、ドイツではビスマルク体制下の教育改革(一八七〇年代)して、国家の側からの国民教育への配慮の動きは急速に高まっていきました。
これは、国内的には資本主義の矛盾が階級対立「二つの国民」の危機を創出し、対外的には帝国主義的植民地分割戦に向かう状勢に対応するためには、国家への忠誠を軸する国民意識の海着が、各国緊急の課題なるこに照応していました。
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